わたしの住む地域でも11日は停電と共に大きな揺れを感じました。
とっさに子どもたちをテーブルの下へ。
立っていられず床に伏せつつ、子どもたちが全員いるかを確認。
ほんのわずかな時間だったはずなのだけれど、とってもとっても長く感じました。
安全を確認してから外に避難。
子どもたちを抱きしめつつ、新たな揺れに恐怖心が募るばかり。
こんな大きな地震は初めての経験でした。
何か大変なことが起こったに違いない、と感じました。
園舎に戻れず、園庭の真ん中で災害用ラジオに耳を傾けると
「M8以上の大きな地震」「10mを超える津波」(実際には10mどころの津波ではなかったけれど)という単語が途切れ途切れに流れてきて、「日本はどうなってしまうのか」と思わず身震いしました。
園長先生が持ってきてくれたストーブで暖を取りつつ、
お迎えの来られない子どもたちとひとときを過ごして、幼稚園を後にしたのは6時過ぎ。
すっかり日も落ち、信号も街灯もつかない真っ暗な道を帰りました。
不安の中にある人々がコンビニに殺到している状況。
帰宅してからラジオで情報を得ようとするものの、状況はわからず。
不安なまま夜を迎え、一晩中緊急地震速報が鳴り続けるという今までにない事態。
もちろん夜中も明け方も何度か揺れてそのつど目を覚ましたけれど、
翌日には電気も復旧してわたしたちはいつもの生活を取り戻しました。
しかし、TVをつけてみるとそこには目を疑うような光景が。
悪い夢を見ているのではないか、
本当にここは日本なのか、と絶句。
少しでも多くのひとが助かりますように…と祈ることしかできませんでした。
被害の大きさを知るたび
わたしたちがいかに無力であるかということを思い知らされ、
何もできない自分にはがゆさを感じる毎日。
被災された方々のことを思うたびに胸が痛みました。
けれども、
わたしはいつもと変わらない日々。
朝起きて、当たり前のように職場へと向かい、子どもたちと共に過ごす。
温かいご飯を食べ、温かいお風呂に入り、温かいベッドで眠りにつく。
何かしたいと思っても
自分に何ができるかなんてわからなくて。
少しでも力になりたい。でも、今は何もできない。
ほんのわずかではあるけれど
支援物資を用意すること。
義援金を送ること。
節電を心掛けること。
あとは子どもたちと共に
天の優しい神さま
今回の地震で被害にあわれた方々
大切なひとを亡くしたり、
行方が分からなくなったりして深い悲しみの中にある方々に癒しの御手をそなえていてください
いつもいつも共にいてお守りください
少しでも早く安心して暮らせますように
今までと変わらぬ日常を取り戻すことができますように
そう祈るだけ。
みんな不安と戦ってる。
それでも確かな明日を待って眠りにつく。
大切なひとが手に届くところにいることに「ありがとう」と感謝して、今わたしにできることをただやるだけ。
一緒に乗り越えようね。
いつでも力になるから。